認知症で精神病院に入院したじいちゃんのブログ

認知症で精神病院に入院した86歳のじいちゃんの日々の変化などを孫の俺が書いていきます。

認知症になる前のじいちゃんの性格

どうもコウイチです。

 

今回は、認知症になる前のじいちゃんの性格をお話しようと思います。

 

じいちゃんは、俺の小さい頃から一言でいうと「クールなじいちゃん」って感じでした。

 

普段は必要な事以外はあんまり喋らないし、ギャグなんて絶対言わない性格でした。

 

でも、その割に優しいところもあり、俺が小さい時にじいちゃん家に行くと、

 

「食え」

 

みたいな感じでお菓子をくれたり、夏には花火をしてくれたりホタル捕りにもよく連れていってくれました。

 

んー、なんて言うか余計な事は喋らず、でも人一倍他人の事を気にかけてくれる頼りがいがあるじいちゃんでした。

 

俺は小さい時から、ばあちゃんが大好きで、休みの日になれば、ばあちゃんの家に行ってました。

 

ばあちゃん家は、周りに自販機も無く、見渡せば田んぼしかないような田舎なんだけど、俺はそれが好きで土曜日の夜から泊まりで毎週のようにばあちゃん家に行ってました。

 

んで、土曜から行く時は、いつも仕事帰りにじいちゃんが愛車の軽トラで俺を迎えに来てくれました。

 

ちなみにじいちゃんは、若い頃は出稼ぎに、40歳くらいからは土木工事の会社に勤めていました。

 

その頃俺が住んでいたのは、今お母とお父が住んでいる家(実家)だったから、じいちゃん家までは20分ほどだった。

 

迎えに来てくれたじいちゃんの軽トラに乗っても特にじいちゃんは喋る事もなく、タバコを吸いながら、いつも無言で運転していました。

 

でも、いつも途中で本屋さんによってくれて、本を一冊買ってくれました。

 

俺はそれが楽しみでもありました。

 

喋らないけど優しい

 

そんなじいちゃんも、ばあちゃん並みに俺は好きでした。

 

じいちゃんは、釣りが好きで俺も小さい時から、よく海釣りに連れていってもらいました。

釣りは、80歳くらいまでは続けていたと思います。

 

これだけなら「クールで優しい良いじいちゃん」なんですが、じいちゃんには最大の欠点があります。

 

別に欠点ではないかもしれないけど、じいちゃんは若い頃から

 

最強のギャンブラー

 

でしたw

 

お母から聞いた話では、お母が小さい時に、家の離れに麻雀専用の小屋を自力で建てたほどですw

 

まぁ、よく言う例えで、ワルは「酒と女とギャンブル」に金を使い果たすとか言うけど、これが

 

酒33%

女33%

ギャンブル33%

 

という振り分けなら、じいちゃんは、

 

「ギャンブル100%」

 

といった感じです。

 

ちなみにじいちゃんは、昔はタバコは吸っていて、年取ってから辞めました。

 

でも酒に関しては昔から1滴も飲まないやつでした。

 

だから80歳過ぎても30キロの米が担げたのかもな。

 

そんなギャンブル好きなじいちゃんは、普段はクールだけど、賭け事となるとハンパなく熱くなっていたのを思い出します。

 

俺が小学生の1年くらいのころ、お正月には親戚一同(子供を入れると15人くらい)がじいちゃんに集まってワイワイやってたんですが、この正月の恒例行事といえば、

 

麻雀

 

でした。

 

女、子供はそっちのけで、俺のお父、じいちゃん、そして親戚のおっちゃん2名の計4名で2階の奥の部屋で朝まで麻雀をするのが正月の恒例行事でした。

 

この時ばかりは、クールなじいちゃんもギャンブル魂に火が付き、マージャンパイを引く時、

 

ドンッ!

 

と握りこぶしでパイを引いていたのを覚えています。

 

お父や、他のおっちゃんは、普通にパイを引くけど、じいちゃんだけ握りこぶしで、

 

ドンッ!

 

です。

 

俺は小さいながらに、じいちゃんの熱さに笑っていたのを思い出します。

 

でも、この頃の正月は本当に賑やかで活気があった。

 

そしてだんだん親戚の集まりも悪くなって、今じゃ誰も来ない正月もあります。

 

どこもそんなものなのかな、、、

 

じいちゃんは麻雀だけでなくパチンコも大好きで、ばあちゃんの話によると仕事帰りによくパチンコに行ってたようです。

 

でもたまには勝った金を、ばあちゃんにあげたりもしてたようで、

 

「おじいさんに小遣いもらった♪」

 

と喜んでたばあちゃんを思い出します。

 

じいちゃんは、俺が大人になってもクールな性格は変わらず、相変わらずの無口だったけど、優しさも相変わらずだった。

 

正月になって俺の家族や、弟、お母やお父がじいちゃんの家に集まると、無言でどこかに出かけたなと思ったら、よく大量のビールやケンタッキーを買ってきてくれた。

 

自分も食べたらいいのに、ビールとケンタッキーを俺らに渡すと、じいちゃんはコタツにあたり、1人で正月の大河ドラマなんかを見ていた。

 

人が自分の家に集まり、飲んで食ってワイワイ楽しくやってもらう。

 

じいちゃんは、それが嬉しかったのだと思う。

 

ワシはいいからお前ら楽しめと、他人が楽しむ姿を見て自分も満足してたのだと思う。

 

ホントに昔と変わらずクールな優しいじいちゃんだ。


じいちゃんは、70歳を過ぎてから猟もやっていた。

 

田んぼや畑を荒らすイノシシやシカを退治する猟友会という会に入って、免許も取り本格的にやっていた。

 

その頃は俺も20代後半だったと思うけど、じいちゃんは退治したシカやイノシシの写真を自慢気によく見せてくれた。

 

今となれば、その頃のじいちゃんは70歳過ぎてもスゲー元気でイキイキしてた。

 

田んぼや畑も現役でやってたし。

 

じいちゃんの行動力は、尊敬できるものがあった。

 

「何でも考える前にまずやってみる」

 

というのが、じいちゃんだった。


なんか、まとまらない話でしたが、以上が認知症になる前のじいちゃんの性格です。


とりあえず、じいちゃんは飾ることもなく、あまり喋らないけど、男気があって優しくて頼りがいのあるじいちゃんでした。


これ書いてる時に、色々と元気だった時のじいちゃんを思い出し、ウルウルきてしまいました。

 

正直、80歳までのじいちゃんからは認知症なんて1ミリも想像できませんでした。

 

マジで分からないものです、、、

 

あの頃のじいちゃんに戻ってほしい、、、と思ってもそれは無理だと分かっています。

 

だから俺は、これまで本当に色々やってくれたじいちゃんに自分のできる限りのサポートをしていきます。