【早すぎる認知症の進行】壊れ始めたじいちゃん
どうもコウイチです。
春頃から認知症の兆候が出始めたじいちゃん。
俺もお母も、
「じいちゃんも、もう85歳だし少しくらいは仕方ない」
この程度に思っていたけど、認知症の進行の進行の早さを正直、甘く見ていた。
稲刈りも終わった10月の後半、あまりする事もなくなったじいちゃんに訪れたの認知症の進行だった。
まだこの時点では、おかしな事を言う程度だったけど、その頻度は夏と比べると明らかに増えていた。
というか、常におかしな事言っている状態になった。
そして、その内容も最初に言いだしたお金の話だけじゃなく、
「自衛隊のヘリが庭に50機やってくる」
「家にあるダイヤ(ダイヤなんて無い)が競売で1億で落札された」
「ワシは老人ホームを経営している」
「再婚して子供が10人生まれた」
など、話のスケールがどんどんデカくなってきた。
そして、口を開けばそんな話ばかりで、まともな話を自分からすることがほとんどなくなった。
でも、田んぼの話などを俺から聞くと、真面目な回答はしてくれた。
この頃も、お母は2日に1度、夜飯を作りに行く程度で、毎日行くとか、じいちゃんの家に止まるということはなかった。
俺も会社の帰りに週1回~2回じいちゃんの様子を見に行く程度だった。
でも、夏頃と比べると認知症が一気に進行したのが明らかに分かったので、お母はじいちゃんを病院に連れていくことにした。
病院は、町医者だと不安だったので、市内で一番大きな市民病院に連れて行った。
平日に仕事の休みをとって、お母とお父、じいちゃんの3人で市民病院の精神科に行った。
認知症で病院に行く場合は、精神科に行くというのが普通のようだ。
病院では、先生がじいちゃんに色々な質問などをして現在の状態を観てもらったようだった。
血液検査はしたけど、MRIなどはしなかったようだ。
診断の結果は、認知症の始まりということだったけど、歳も歳だし仕方ないという感じだった。
じいちゃんの場合は、妄想や夢と現実が一緒になるような認知症の症状だったため、それに対応した薬を出してもらい、10日置きくらいに通院することになった。
じいちゃんは、昔から薬などは真面目に飲むタイプだったので、おかしな事を言いながらも朝と夕方の決まった時間にしっかり薬は飲んでいた。
これが、10月の後半の事だった。
そして、薬を飲みながら2、3回通院した11月の終わり頃、
じいちゃんにとんでもない変化が現れた。
11月終わり頃のある日、家に居た俺にお母から電話がかかってきた。
「おじいが大変や!部屋に武器を運び出した!!」
は?
状況が理解できない俺は、とりあえずじいちゃんの家に行ってみる事にした。
じいちゃんの家に着いた俺は自分の目を疑った。
そこには、目が血走って興奮するじいちゃんが、自分の部屋に
・ハンマー
・鉄パイプ
・カマ
・クワ
・スコップ
・斧
・はさみ
・包丁
・チェーン
・かなずち
などをひたすら運んでいたのだった。
じいちゃんは、かなり興奮している状態で、お母の静止も全く聞こえない状態だった。
俺は、じいちゃんに、
「じいちゃん!どうした!何しとんや!!」
とデカい声で言いながら、じいちゃんの体をハグのような感じで抑えた。
するとじいちゃんは、
「離せ!!〇〇が殺しにくるんや!!そやから来たらこれでどついたるんや!!」
と、物凄く興奮しながら俺を振り払おうとした。
「じいちゃん!!落ち着け!!誰も来んて!!」
「落ち着けじいちゃん!!」
振り払おうとするじいちゃんを必死に止める俺。
10分くらい説得しただろうか。
じいちゃんは何とか落ち着いた。
じいちゃんの部屋には、無数の鉄パイプや、畑仕事に使う農具、凶器が散乱していた。
ありえない光景だった。
それを見て、直感的に俺は
「終わった」
と思った。
じいちゃんは運ぶのは止まったけど興奮は止まらなかった。
「○〇がワシを殺しにくるんじゃ!!ワシが殺されたらお前責任とれるんか!!」
俺に怒鳴るじいちゃん。
その目は血走り、いつものじいちゃんとはまるで別人だった。
状況としては、〇〇というのは近所に住むじいちゃんと歳も近いじいさんの事で、そのじいさんが殺しにくると言うのだった。
もちろん、認知症からの被害妄想だと思う。
昨日まで、こういう兆候は全く感じられなかった。
あまりにも突然、まるで何かのスイッチが入ったかのように、じいちゃんは暴れ出した。
興奮が収まらず、周囲を警戒しながら鉄パイプを握りしめ、叫ぶじいちゃんを見て俺は、
「なんでやねん、、、急すぎるやろ、、、」
と心の中でヒザから崩れ落ちた。
でも、そんな事も言ってられない。
俺は目の前の現実を受け入れ、じいちゃんを説得した。
「じいちゃん!〇〇が来たら俺が追い返してやるから安心しろ!」
この頃は、ネットで認知症について少し勉強していたから、
・認知症の人の言う事を否定してはいけない
という知識はあった。
だから俺は、じいちゃんの行動を否定せず、とりあえず安心させるということに集中した。
「〇〇とは俺が話し合いをする!絶対じいちゃんには近づけさせん!!」
必死で説得する俺のいう事が通じたのか、この日はなんとか安心させる事ができ、興奮も収まった。
ちなみに、じいちゃんは耳がかなり遠くて、補聴器を付けても聞こえにくいほどだ。
だから、説得するのも大声で説得しないといけないから、声が枯れそうになり、なかなか大変だ。
じいちゃんが落ち着いたのを確認すると、
「じいちゃん、もう大丈夫やで鉄パイプとか片づけるで。」
俺がそう言うと、
「おう」
と冷静な答えが返ってきた。
目を見るともう血走っていなかった。
なんだかスイッチが切れたような変わりようだった。
しかし、本当に大変なのはこれからだった。
次の日も、また次の日も、
じいちゃんは同じ行動を起こした。
じいちゃんに認知症の兆候が出てから約半年、あまりにも早すぎる認知症の進行。
この日を境に、じいちゃんがじいちゃんで無くなり始めた。